ニュースやSNSで流れてくる情報に怖くなって、ふとカメラを持って外に出る。
ひんやりとした空気に、どこかよそよそしさを感じつつ、住み慣れた町を歩く。

ここが突然、戦場になるってどういう感覚なのだろうか。
地球の裏側では、突然日常が奪われた人々がいて、ここでは何も変わらない日常が流れている。
ここに流れる時間も突然ぷつんと途切れてしまうことがあるのだろうか。
ほんの一部の人間が、その他大勢の人間の命を左右できるような仕組みのなんと恐ろしいことか。
ただ一人の阿呆のために、いったい何人が死ぬのだろうか。

そんなことを考えながら、ぼんやりと歩く。
私はどうやら不安定になるとカメラを持つらしい。
いや、私の周りにも自分の内面の揺らぎを写真にぶつけている人は多いような気がする。
それにしても、最近は生活が忙しかったこともあり、このシャッター音を長らく聞いていなかった。
撮る写真はどこかぎこちなく、構図も心なしか安定しない。
例えば明日、もっと大きな戦争が引き起こされて、世界が灰になったとして…
私が今日ここで撮った写真は、私がここに生きていた証になりえるのだろうか。

いやいや、そんなことを求めること自体がナンセンスなのかもしれない。
あまりに無力だが、どこかに意味を見出さないと生きてられないというのも、ひどい話だ。
でもこれはきっと、贅沢な悩みなのだと思う。

どうか、戦地の人々が怯えずに夜を過ごせるようになりますように。

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