これはオーストラリア、アデレードでの半年間の記録。
留学中に84ページの写真集を作成した。ここに掲載する写真はその抜粋。本冊が見たい人は、こっそりお声掛けください。
* *
やってきてからしばらくは本当にしんどかった。ストリートの名前が覚えられず、まるで迷路…英語は通じないし…。
でもやっぱりこの街で私が見たもの・感じたことを、できる限りすぐに、そのままの形で残しておきたいと、写真を撮りはじめた。
日本と同じところは何だろう?
日本と違うところは何だろう?
些細な日々の発見が面白くてついシャッターを切る。
記録として、私がこの地に生きた証として、そんな発見の積み重ねを一冊にしてみようと思う。
「ストリート / Street」
ふとストリートという言葉のコノテーションに気がつく。
ストリートパフォーマンスとは言うけれど、ロードパフォーマンスとは言わない。
必ず誰かが音楽をひいていて、コーヒーを売っていて、子供がモニュメントの前で写真を撮っている…
そんな光景全てを形容する言葉はやはり「ストリート」なのだろう。
こんな「ストリート」は日本にはない気がする。
「たそかれ / Who is he?」
こちらに来て一か月弱、少し生活にもなれバスで出かける余裕が生まれてきた。
天気予報と相談して冬の海辺へ。夕焼けの色は日本とは全く違う。
その日の空は、スマートフォンのフィルターを思いっきりかけたような表情を見せてくれた。
水蒸気や霞の量が全く違うらしく、地平線下から激しく雲を焦がす光線が見えるかのようだった。
「街並み / Architectures 」
大学のホールと、家の隣の教会。
地元の人曰く「どんな田舎町にもホールと教会」があるらしい。 確かに端から端まで徒歩10分、みたいな小さな町にも必ず教会がある。 建築様式は、イギリスをはじめとしたヨーロッパの様式が目立つ。
入植時代のコロニアル様式やそれ以降の発展した様式など色々あるらしいのだが、素人には「西洋風」としか分からないのがもったいないところ。
「マクドナルド / McDnald's」
どの国でも1番同じだと思っていたものが、全く違っていた。
サイズと値段が全く違う。 マクドナルドと隠して日本で高級路線のハンバーガー屋を開けば、かなり儲かりそうなクオリティーだった。
「*2人ぼっち / *The Smell of Tide」
「2人ぼっち」これ英語でなんて言うんだろうなどと考えはじめてドツボにはまった。
母語話者には「1人ぼっち」という語感が存在するので、正規表現から外れたタイトル付けをしてもそのニュアンスが伝わる。(語頭のアスタリスクは非文を示す。)
私は英語の規範文法を知っていても、その破り方を知らない。
母語話者には「1人ぼっち」という語感が存在するので、正規表現から外れたタイトル付けをしてもそのニュアンスが伝わる。(語頭のアスタリスクは非文を示す。)
私は英語の規範文法を知っていても、その破り方を知らない。
そこが母語話者との大きな違い。
ここにきて言語の壁があまりにも高く感じられる。
「その土地に伝わるもの / The Land and People」
ところ変わって、こちらはケアンズ市内から少し離れた山中の博物館。
アデレードとは全く違い、9月だというのに非常に蒸し暑い。さすが熱帯雨林気候。
ケアンズ周辺は観光地ということもあってか、アボリジニの文化がよくアピールされている。
このあたりはYirrganydjiと呼ばれる種族が住んでいたらしい。
アデレードとは全く違い、9月だというのに非常に蒸し暑い。さすが熱帯雨林気候。
ケアンズ周辺は観光地ということもあってか、アボリジニの文化がよくアピールされている。
このあたりはYirrganydjiと呼ばれる種族が住んでいたらしい。
一方で滞在しているアデレード周辺はKaurnaというグループが住んでいた。
ちなみにこれで「ガーナ」と発音する。この言語では無声音と有声音の区別(kとg/pとb)がないのだとか。
もちろん、こういった現地の言語の大半に言えることだが、ネイティブ話者は一度途絶えている。
Kaurna語は音声記録もないらしい。それでも当時の発音をある程度特定することができるのだから言語学は面白い。
ちなみにこれで「ガーナ」と発音する。この言語では無声音と有声音の区別(kとg/pとb)がないのだとか。
もちろん、こういった現地の言語の大半に言えることだが、ネイティブ話者は一度途絶えている。
Kaurna語は音声記録もないらしい。それでも当時の発音をある程度特定することができるのだから言語学は面白い。
こちらの授業でrevivalisticsという科目をとっている。
こうした「死んでしまった」言語を復活させることに関する授業だ。
その授業では先生がrevivalisticsを推し進める理由を以下のように語っていた。
1. 倫理的な理由:入植者が言語を殺してしまったからその償いをしないといけない。
2. 美的理由:それぞれの言語にしかない世界観が面白いし、美しい。
3. 効用的理由:その民族の自己肯定感を強めたり、文化や地域を発展させる経済的な理由。
過去の償い、とはどこまでさかのぼって、誰に対して、誰が責任を負うのか。
「交差 / Intersect」
滞在中は写真を撮る市民団体に所属して、現地の人と交流した。
こちらの人の画像処理の仕方は日本でよく見るそれと全く違う。トリミング、お絵かき、なんでもOK。全体的なトーンやタッチもまるで違う。日本人に言わせれば「けばい」とか「フィルターかけまくり」といったところか。
ある写真勉強会に参加したとき、その違いは「写真」と「photography」にあるのではないかと、気がついた。
もちろん、両者は辞書の上ではイコールだ。
でも、「写真」は真実を写すもの。「photography」はphoto(光)でgraph(描く)もの。そんな根本的な違いが実は存在している気がして、その日は軽い興奮を覚えた。別に言語に全てが支配されるわけではないが、これもサピア・ウォーフ仮説の一例なのかもしれない。
でも、「写真」は真実を写すもの。「photography」はphoto(光)でgraph(描く)もの。そんな根本的な違いが実は存在している気がして、その日は軽い興奮を覚えた。別に言語に全てが支配されるわけではないが、これもサピア・ウォーフ仮説の一例なのかもしれない。
「荒野 / Outback」
お世話になっている市民団体のおじさんに、荒野に連れて行ってもらった。
都市から500km離れたところ。舗装されている道路は、町と町を結ぶ主要な道路だけ。一歩入れば、ただの砂利道。
荒野には動物たちがたくさんいる。
カンガルー・エミュー・ひつじ・キツネ…。
野生のものもいれば、野放しで毛だけかられる羊のような半野生のものも多い。
そこら中に動物の骨が散らばり、道に横たわる死骸にはカラスが群がる。
カンガルー・エミュー・ひつじ・キツネ…。
野生のものもいれば、野放しで毛だけかられる羊のような半野生のものも多い。
そこら中に動物の骨が散らばり、道に横たわる死骸にはカラスが群がる。
これを"Harsh beauty."というのだと、おじさんが教えてくれた。
「星あかり / Starlight」
荒野は夜になると完全に明かりを失う…
私はそう思っていたが、どうやらそれは間違いだったよう。
今回の撮影旅行で、私は「星の明るさ」をはじめて知った。
(今まで様々なところで星を見てきたにもかかわらず、である。)
人工光がなければ、もっとあたりが完全な闇に包まれるのだと思っていたのだが、実際は目が慣れれば足元の様子が分かるぐらいには明るい。
正直な話、日本の林の中の方が、周りの明るさは暗い気がする。(あそこは足元は一切見えない。)
遮るものが何もない荒野は、夜になれば星に照らされるのだ。
私はそう思っていたが、どうやらそれは間違いだったよう。
今回の撮影旅行で、私は「星の明るさ」をはじめて知った。
(今まで様々なところで星を見てきたにもかかわらず、である。)
人工光がなければ、もっとあたりが完全な闇に包まれるのだと思っていたのだが、実際は目が慣れれば足元の様子が分かるぐらいには明るい。
正直な話、日本の林の中の方が、周りの明るさは暗い気がする。(あそこは足元は一切見えない。)
遮るものが何もない荒野は、夜になれば星に照らされるのだ。
「宙の華 / A Flower in the Sky」
あの夜、最高の星空を見たとき自分でもびっくりするぐらい感情が薄かった。
間違いなく、あれは私が今まで見た宙の中で最高の宙である。
間違いなく、あれは私が今まで見た宙の中で最高の宙である。
いつもの私なら、興奮で震えが止まらなくなり、独り言も止まらなくなり、夢中でシャッターを切る。
4日間の旅行ではおじさんたちとの会話もすべてが英語。
自分の感情を表現するのも、基本的には英語だった。
Beautiful / Fantastic / Amazing / Wonderful / Great / Nice / My, gosh
確かにほかの人が使う語彙を習得しレパートリーは増えた。
でも英語を口にしたときの感情は、やはり「っうわ…」と、日本語が口から出る時の感情とは明らかに深さが違う。
あくまで身体的な感情を無理やり英語に置き換えている時と、身体的な感情がまるで反射のように口から出る時。
あれはそこにある感情と言葉の隙間を感じた瞬間だった気がする。
「田舎町のカフェ / A Cup of Coffee」
田舎町は、端から端まで車で5分もかからない。
小さな町が、主要都市をつなぐ道路上にぽつぽつと存在し、運転手の貴重な憩いの場となる。
町には必ずカフェがあり、軽食が食べられる。
どんな小さな町でもコーヒーはおいしい。
小さな町が、主要都市をつなぐ道路上にぽつぽつと存在し、運転手の貴重な憩いの場となる。
町には必ずカフェがあり、軽食が食べられる。
どんな小さな町でもコーヒーはおいしい。
「酒場の裏 / Behind Cry Baby」
あと一か月で帰国、という時期になっても面白いものの発見は続く。
見事な落書きの残された、裏路地の壁を見つけてしまって、雨の降る夜を待って撮影に出かけた。
アデレードには落書きが多い。本物の落書きからArtとしての落書きまで、内容は様々だが。
ほんとは煙草をふかした刺青のおっちゃんでもいたら絵になっていたのだろうと思う。
まあ本当にそんな人がいたら怖くて写真なんて撮れないのだが…。
見事な落書きの残された、裏路地の壁を見つけてしまって、雨の降る夜を待って撮影に出かけた。
アデレードには落書きが多い。本物の落書きからArtとしての落書きまで、内容は様々だが。
ほんとは煙草をふかした刺青のおっちゃんでもいたら絵になっていたのだろうと思う。
まあ本当にそんな人がいたら怖くて写真なんて撮れないのだが…。
こんな「こってり」した場所にはやはり「酒場」という言葉が合う気がする。
これが「居酒屋」だったら雰囲気は台無しになるだろう。
ちなみに、この酒場Cry Babyは数少なくこちらで仲良くしてもらっていた同年代の友達と行った。
中にはビリヤード台が置かれていて、若者たちが騒いでいる。
下の2枚は近くで見つけた落書き(こちらはアートか)の写真。
「ジャカランダ / Jacaranda」
春になって、市内の街路樹が一斉に花をつけた。
調べてみたらジャカランダという樹らしい。
調べてみたらジャカランダという樹らしい。
日本の桜と一緒だなあと思った。
一斉に咲き、一斉に散る…
そんなメンタリティーをこちらの人はどう思っているのか分からないが。
「電車 / Trains」
この半年間、移動はもっぱらバスと電車。
どちらも同じ値段で、定額でどこまでも乗れる。
学生のICカード料金は非常に安く、昼間なら100円しない。
この日は試しに、田舎の路線の端っこの駅まで乗ってみることにした。
電車の内装はいたって簡素で、券売機とごわごわの椅子が並べられているだけ。
ところどころ窓や床に落書きが残っていたり、ガムが貼りつけてあったりもする。
どちらも同じ値段で、定額でどこまでも乗れる。
学生のICカード料金は非常に安く、昼間なら100円しない。
この日は試しに、田舎の路線の端っこの駅まで乗ってみることにした。
電車の内装はいたって簡素で、券売機とごわごわの椅子が並べられているだけ。
ところどころ窓や床に落書きが残っていたり、ガムが貼りつけてあったりもする。
車内は人が多いとがやがやとうるさいのが日本とはかなり違う。
もっとも人が多いといっても御堂筋線と比べればなんてことはないが。
「たそかれ / Who is he?」
帰国まであと10日というところで、この通い詰めた海岸の公園は、最高の夕焼けを見せてくれた。
サマータイムのこともあり日の入りはもう20時過ぎ。そろそろ帰らないと…と思っていたら途端に空が赤に染まった。
文字通りの真っ赤な世界に、しばらく夢中でシャッターを切った。
別に自然と意思疎通ができているわけでもないのは分かっていても、こんな空を求めて衛星画像とにらめっこしては何度も通っていたので、やっぱり嬉しい。
サマータイムのこともあり日の入りはもう20時過ぎ。そろそろ帰らないと…と思っていたら途端に空が赤に染まった。
文字通りの真っ赤な世界に、しばらく夢中でシャッターを切った。
別に自然と意思疎通ができているわけでもないのは分かっていても、こんな空を求めて衛星画像とにらめっこしては何度も通っていたので、やっぱり嬉しい。
留学中この海で考え事をした時間は、本当に長かった気がする。
高校の恩師に言われた「言語学は人間の生に希望を与えるのか?」という問いがずっと頭を巡っていた。
言葉を学ぶ意味と写真を撮る意味というのは、重なる部分が多い気がする。
感情も現実も、ふわふわしていて、解釈や意味づけをしないと流れて行ってしまう。
そういったものを「固定」する手段として、こうしたメディアがあるのだと思う。
もちろん夕焼けのすべての色をカメラで撮りきれないように、言葉にしたとたん失われてしまう感情もある気がするのと同じように、それは完璧ではないかもしれない。それでもそうすることで、その感情や瞬間は他の人と共有することができるようになる。
言葉を学ぶ意味は?写真の価値は?…自分の価値は?
そういったものを求めてしまった時に、自分が生み出したものを誰かと共有することによって、反射として自分の存在がかすかに分かるようになる。ああ、確かにここに立っているんだって。
別に、この世界にとってそれ自体に大した意味はないんだけれど、自分が自分としてここにいるって感じられることは全ての出発点として揺らぐことはないんだと思う。
* *
このページを準備する際に、留学中の写真を改めて見直した。今から読み直すと、もちろん恥ずかしくもある。
今もあの時のみんなは元気だろうか。また会いに行きたい。
G'day mate, how are ya?
あの挨拶が懐かしい。